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大阪高等裁判所 平成9年(行コ)54号 判決

控訴人

京都南労働基準監督署長

野村隆

右訴訟代理人弁護士

上原健嗣

右指定代理人

比嘉一美

外六名

被控訴人

河南義則

右訴訟代理人弁護士

井上二郎

中島光孝

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  事案の概要等

本件事案の概要及び争点に対する当事者の主張は、原判決の「事実及び理由」の「第二 事案の概要」及び「第三 争点に関する当事者の主張」(原判決三頁一行目から一二頁一一行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

第三  判断

掲記の各証拠(書証についてはいずれも枝番号を含む。)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

一  被控訴人の従事した業務内容等(甲3、5、乙3ないし5、8、9、11、14ないし16、23、26ないし31、被控訴人本人〔原審〕)

1  トーヨータイヤ京滋販売入社前の職歴

被控訴人は、昭和五五年四月、大学を卒業後、京洛ヤクルト販売株式会社において、乳飲料の早朝販売・在庫管理等の業務に就いたが、同年七月に退職し、同年八月、婦人服の製造・卸売業を営む会社において、営業員として得意先回りなどに従事したが、昭和六一年三月、これを退職した。

2  京都営業所における勤務内容(昭和六一年四月から昭和六三年二月まで約一年一一か月間)

(一) 被控訴人は、昭和六一年四月二一日(当時二八歳)、自動車用タイヤ及びチューブ等の卸売業を営むトーヨータイヤ京滋販売に入社し、約一か月の見習いを経て、京都営業所に営業員として配属された。

(1) 京都営業所には、営業所長(管理業務を主とする)ほか四名の営業員、タイヤ交換専従作業員二名、タイヤ配送作業員一名などが配置されていた。同営業所の得意先は約二〇〇軒、営業員は、一人当たり約五〇軒の得意先を受け持っていた。

(2) 始業時刻は午前八時四五分で、被控訴人のような営業員は、タイヤの配送も兼ねて、午前九時ころから一〇時ころに営業所を出て、午後一時から二時ころには一旦営業所に戻り、午後二時ころ再び営業所を出て、午後五時から六時ころ営業所に戻り、一日一〇ないし一五件の得意先を回るというのが平均的な日程であった。終業時刻は午後五時三〇分とされていたが、午後六時三〇分から七時ころまで居残り、残務整理などを行う営業員も少なくなかった。

(3) 京都営業所に入荷されるタイヤは、三日に一回程度の割合で、一回当たりの本数は概ね三〇〇本から五〇〇本、これを従業員六、七人で倉庫に搬入した。毎年一一月、一二月及び翌年三月、四月は、スノータイヤの取扱いが増加する繁忙期であった。もっとも、同営業所において、タイヤの「脱着」(ホイール付タイヤを車体から取り外し、再び装着する作業をいう。)から「入替え」(古いタイヤから外したホイールを新しいタイヤに組み入れる作業をいう。)まで、交換作業の工程すべてを実施するのは、一日当たり三〇本程度であった。京都営業所においては、大型タイヤ(四トントラック以上に装着)の取扱量が比較的多く、本数では小型タイヤ七に対し大型タイヤ三(売上高では小型タイヤ六に対し大型タイヤ四)の割合であった。

(二) 京都営業所における営業員の主たる業務内容は、担当地域内のガソリンスタンド、自動車販売店、修理工場、タイヤ専門店などの得意先を回って、タイヤの受注・セールス・集金のほか、勉強会や展示作業の指導などであり、必要に応じて、伝票類の作成にも携わった。

(1) 京都営業所においては、タイヤ交換作業は、専従の作業員二名が主として行っていたが。急なタイヤ交換の必要に備え、営業員のうち一名がタイヤ交換要員として交替で常駐していた。そのほか、被控訴人を含め、専任作業員以外の営業員も、必要に応じて、適宜、タイヤの搬入・交換作業に従事した。これら業務内容の割合は、概ね、通期でセールス六に対し、配送二、タイヤ入替え及び倉庫作業が各一であったが、繁忙期には、セールス、配送及びタイヤ入替えが各三、倉庫作業が一の割合となった。営業員は、通期には、一日二五本程度のタイヤ入替作業に従事したが、繁忙期には、一日五〇本前後のタイヤ入替作業をこなした。

(2) 営業員の作成する伝票類には、まず、日々の注文に係る受注票があったが、通例一枚もので(複写式ではなかった。)、事務担当者がこれに基づいてコンピューターに入力し、四、五枚複写の出荷売上伝票が出力された。営業員は、新規に得意先を獲得した場合には、見積書(二枚複写のもの)を作成したが、月一枚程度のものであり、また、得意先によっては、専用伝票(四枚程度複写のもの)を作成することもあったが、全体の一、二割程度、一日当たり四、五組程度であった。

(三) 京都営業所におけるタイヤの取扱作業の具体的内容は以下のとおりであった。

(1) 入荷タイヤの搬入

男子従業員六、七名は、出勤後、タイヤが入荷されると、トラックの荷台に積み上げられたタイヤを転がして、荷台から地面に降ろし、別の男子従業員は、降ろされたタイヤを種類別に作業場に積み上げ、検品の上、倉庫内に搬入する例であった。

普通乗用車用のタイヤ(約五キログラム)については、従業員四名程度が倉庫(二階)に上がり、従業員二名が一階で倉庫と作業場とを結ぶベルトコンベアまでタイヤを転がして、両手で胸の高さまで持ち上げ、タイヤをベルトコンベアの上へ乗せた。倉庫で待機している従業員は、ベルトコンベアで送られてきたタイヤを両手でタイヤラック上に持ち上げ、タイヤラックの上にいる者がこれを積み上げ、収納していった。大型タイヤ(約五〇キログラム)については、二名程度の従業員が、営業所一階の収納場所までタイヤを転がして、四、五段目までは一人で、七、八段目までは二人がかりで積み上げていった。タイヤをベルトコンベアの上に乗せたり、タイヤラックに持ち上げる作業の際には(とりわけ大型タイヤの場合には)、作業員の両腕及び腰部にかなりの負担がかかった。このようなタイヤの搬入作業は、作業当日の遅くとも昼ころまでには終了した。

京都営業所では、男子従業員六、七名すべてが、タイヤの搬入作業に従事したが、被控訴人のような営業員については、予め担当者が決まっていた訳ではなく、必要に応じて、その都度、搬入作業に携わる例であった。

(2) タイヤの交換

タイヤを交換するためには、まず、営業所の倉庫(二階)に収納された各種タイヤ(ただし、大型タイヤを除く)を作業場へ運び出す必要があった。各種タイヤは、倉庫内のタイヤラックに四段に積まれ、もっとも高いものでは床から約五メートルの位置にあった。これらを取り出すには、入荷タイヤの搬入の場合とは逆の要領で、タイヤをベルトコンベアに乗せて作業場に降ろし、転がして運んだ。なお、大型タイヤについては、一階作業の奥に約七、八本ずつ積まれているものを、順次上のものから地上に降ろして、作業場まで転がして運んだ。

タイヤ交換作業には、①車体から古いタイヤを取り外し、ホイールを入れ替え、新しいタイヤを再度装着するまでの作業すべてを行う場合、②得意先において、車体から取り外した古いタイヤをホイールごと持ち帰り、ホイールを入れ替えた新しいタイヤを得意先に納品する場合、③ホイール付きのタイヤを脱着して、単にタイヤの装着場所を入れ替えるだけの場合があった。

このうち、小型タイヤの入替作業に際しては、作業者が、小型(二、三キログラム)のインパクトレンチ(空気圧を利用してボルトを締めたり緩めたりする機械)を用いて、車体から外したホイール付きタイヤを、寝かせた状態で床から約八〇センチメートルの高さにまでに持ち上げて、タイヤチェンジャー(半自動の交換装置)の台上に固定したり、タイヤを約一メートルの高さにまで持ち上げて、ホイールバランサー(ホイールバランスの測定装置)に取り付ける工程があった。作業員一人が乗用車一台分のタイヤすべてを交換するのに要する時間は二、三〇分程度、ホイール付タイヤの重量は一本一五ないし二〇キログラムであったが、これをタイヤチェンジャーやホイールバランサーにセットするために持ち上げる際、作業員の両腕や腰部には相当程度の負担がかかった。

大型タイヤの入替作業に際しては、タイヤの脱着に当たり、中型(五、六キログラム)又は大型(一〇ないし一五キログラム)のインパクトレンチを地面から三〇ないし八〇センチメートルの高さにまで持ち上げて使用したが、その際、両腕や腰に負担がかかった。作業員は、車体から取り外したホイール付タイヤを転がして移動させた後、チューブレスタイヤの場合(約九割を占める。)には、タイヤチェンジャーにセットして、タイヤとホイールを入れ替えた。チューブ付きタイヤの場合には、作業員が、金属製ハンマー(約五キログラム)を用いて、ホイールとタイヤの境目にくさび(アングル)を打ち込んでホイールリングを外し、タイヤを再び立てて、タイヤレバーを用い、足でタイヤからホイールを蹴り落とし、引き続き、新しいタイヤの中にチューブを入れ、鉄のレバーを用いて硬質ゴム製の帯状の輪(フラップ)を手でタイヤの中に押し込み、ホイールに新しいタイヤをはめ込んだ。以上の工程を作業員一人で行うと約一時間三〇分を要するが、京都営業所では、大型タイヤとりわけ一〇トン車のタイヤ交換は、必ず複数人で行う例であった。ホイール付大型タイヤの重量は一本七〇キログラム以上にも及ぶものがあり、タイヤ交換作業に際し、手作業で、ハンマーやタイヤレバー等の器具を用いる場合には、これを取り扱う側の腕に、寝かせた大型タイヤを立ち上げたり、大型タイヤを車体に脱着する際には両腕に、それぞれかなりの負担を生じた。

3  京都西営業所における勤務内容(昭和六三年三月から平成二年七月まで約二年四か月)

(一) 被控訴人は、昭和六三年三月一日(当時三〇歳)、京都西営業所に配置換えとなった。

(1) 京都西営業所には、営業所長(管理業務を主とする)ほか三名の営業員、タイヤ配送作業員一名などが配置されていた。同営業所の得意先は約一〇〇軒、営業員は、一人当たり約二四、五件の得意先を受け持っていた。営業員の勤務時間や一日のタイムスケジュールは、京都営業所におけるのとほぼ同様であった。

(2) 京都西営業所におけるタイヤの取扱量は、京都営業所の概ね三分の二程度に止まり、入荷されるタイヤは、三日に一回程度の割合で、一回当たりの本数は概ね一五〇から一六〇本、これを従業員四人で倉庫に搬入した。毎年一一月、一二月及び翌年三月、四月には、スノータイヤの取扱いが増加し、繁忙期となるのは、京都営業所におけるのと同様であった。もっとも、京都西営業所には、大型トラックの入れる作業場がなかったので、京都営業所に比べると大型タイヤの取扱量は少なく、その八割程度は小型タイヤであった。

(二) 京都西営業所における営業員の主たる業務内容は、京都営業所におけるのと同様、得意先回りやタイヤの受注・セールス・集金などであった。営業員がタイヤの入替え・交換に従事するのは、通期では、小型タイヤにつき一日一〇本程度、繁忙期でもその三倍(一日当たり三〇本程度)であり、特に、大型タイヤの入替えや交換作業に従事することは月に一回程度と少なかった。

被控訴人の勤務内容は、営業担当の地域が、京都市内(山科区を除く。)のうち五条通り以北の地域及び亀山市に変わったほかは、基本的に、京都営業所のそれと大きく異なることはなかった。

4  京都営業所における勤務内容(平成二年七月から平成四年八月〔退職〕まで約二年二か月間)

(一) 被控訴人は、平成二年七月三一日(当時三二歳)、再び京都営業所に配属された。

(1) 京都営業所の人員は、昭和六三年二月まで被控訴人が勤務していたころと同様であった(ただし、配送業務の一部が外部の個人業者に委託され、親会社からの出向社員が一名から四名に増加した。)。また、パワーリフト付きのトラックや、大型タイヤの入替作業のために、チューブレスタイヤ用にもタイヤチェンジャーが導入されるなど、労働条件は改善された。

(2) そのころ、京都営業所では、毎週日曜日及び隔週土曜日が休日とされていたほか、完全週休二日制の実施へ向けて、休日以外の土曜日でも自宅研修日と称して、簡単なレポートの提出が求められるだけで、出社しなくてもよいことがあった。

(二) 被控訴人の勤務内容は、前記2で認定した京都営業所に勤務していたころと大きく異なることはなかったが、特徴的な作業として、以下のものがあった。

(1) キャンペーン販売活動

被控訴人は、京都営業所では、主として市内のガソリンスタンドを一軒当たり、ほぼ三日おきに回って、タイヤのセールスなどの販売活動に従事した。トーヨータイヤ京滋販売では、毎年三月、六月と一一月には親会社と取引関係にあったエッソ系列のガソリンスタンドを対象に、タイヤの販売促進キャンペーン活動を行った。被控訴人は、平成三年一〇月ころから、エッソ系列のガソリンスタンドの担当となり、キャンペーン期間中は、京都市内及びその周辺地域の少なくとも約四〇店の系列のガソリンスタンドを一人で回り、集中的に小型タイヤの受注・配送等の販売活動を行い、その取扱量は著しく増加した。

(2) 平成三年冬期における大型タイヤの交換作業

京都営業所では、毎年一一月、一二月及び翌年三月、四月は、スノータイヤの取扱量が増加する繁忙期であったが、特に、平成三年の冬期にはスパイクタイヤの使用が規制されたため、タイヤ交換の取扱量は著しく増加した。この繁忙期に京都営業所で取り扱ったタイヤの数は、引き取った夏タイヤが約五〇〇本、装着したスノータイヤが約五〇〇本の合計一〇〇〇本に上った。

同営業所では、作業場でタイヤ交換に専従する作業員二名のほかに、営業員一名を営業所に常駐させ、大型タイヤ等の交換に備えていた。しかし、平成三年の冬期には、営業員も一日中営業所にとどまり、タイヤの交換作業に携わることがあった。そのころ、大型タイヤの交換作業は、夕方以降に依頼されることが多かったため、営業所に戻った営業員が、運送会社に出向いて、ホイール付のタイヤを受け取って営業所へ戻り、翌朝の納品に備えて、午後八時、九時ころまでかかって交換作業を終えることも一週間に数回はあった。このような夜間の交換作業は、営業所のタイヤ交換の専従作業員が中心となったが、営業所に戻ってきた営業員も、適宜、これを手伝い、結果的に、男子従業員全員で流れ作業式に大型タイヤの交換作業(一日当たり二〇本程度)を行うことになった。被控訴人は、前記(1)のとおり、キャンペーン活動のために、得意先回りをしている最中にも、随時、営業所に呼び戻され、タイヤ交換作業や別の得意先へのタイヤ配送作業に携わったり、夕方、営業所に戻ってからも、他の従業員とともに、タイヤの交換作業を行うことがあった。

二  被控訴人の罹患疾病とその経過等(甲3、5、乙3、4、6、8、10、11、14、15、23、26ないし28、72、73、被控訴人本人〔原審〕)

1  被控訴人は、昭和六三年三月、トーヨータイヤ京滋販売京都西営業所に配置換えになったころには、既に、右手の具合が悪く、ペンを持った右手の人差し指を左手の人差し指にあてがって押すようにしなければ、曲線が旨く書けない状態であった。さらに、被控訴人は、平成元年一月ころには、右手に力が入らないような感覚を覚え、ペンを持つことはできるが、ペン先を紙面に接することが困難になるなど、右手による書字に明確な障害を覚えるようになった。もっとも、被控訴人が、特に、病院等で受診することはなく、症状が自然に回復することもなかった。

2  被控訴人は、平成二年七月一〇日、業務上の事故により、骨折し、その担当医に対して、右手の書字障害についても訴えたところ、京大病院を紹介された。被控訴人は、同年七月一七日、京大病院において、担当の塩医師から書痙と診断された。もっとも、当時は、被控訴人のジストニアの症状は日常生活や業務に支障を来す程ではなかったし、塩医師からも、取り立てて治療の必要性を示唆することもなかったので、被控訴人は、特に通院治療することもなかった。

3  被控訴人のジストニアの症状は、平成三年秋ころから悪化し、被控訴人は、ペン先を紙面に付けることができず、右手による書字が殆ど不可能となるとともに、ドライバーでねじを締める動作にも不自由を覚えるようになった。しかし、物を持ったり、掴んだり、ハンマーを用いることは普通に行うことができた。被控訴人は、平成三年一一月ころ、再度、京大病院で受診し、塩医師からジストニアを専門とする池田医師を紹介され、同医師の指示で、二週間毎に通院して投薬・治療を受けることになった。しかし、被控訴人のジストニアの症状は一向に改善されないばかりか、かえって、悪化し、平成四年一月ころには、右手による書字が全く不可能になるとともに、食事の時に、箸やスプーンを上手く使えなかったり、コップや茶碗を持つ手首が折れ曲がって、水をこぼしたり、プッシュホンや電卓のボタンが押し辛くなるなど、右手による日常生活の動作全般にわたり支障を来すことになった。池田医師からは、「原因不祥であるが、治療抵抗性であり、今後、増悪する可能性があり得る。」と診断された。

4  被控訴人は、平成四年三月二四日、池田医師から紹介された梶医師により、「右上肢ジストニアのために、二か月間の自宅療養及び通院加療を要する。」と診断された。被控訴人は、同年四月二六日から休職し、さらに、通院してボツリヌス菌による治療を受け、症状は若干改善されたが、右手が、従前のように、タイヤの取扱作業に復帰できる程度には回復しなかった。そのため、被控訴人は、平成四年八月二〇日、トーヨータイヤ京滋販売を退職した。

5  被控訴人は、現在も、右手による書字は不可能な状態にある。食事は左手を使用し、右手では、消しゴムを使ったり、印鑑を押す動作も不自由である。かねて行っていたボツリヌス菌による治療は行っておらず、アルコール注入方法による治療を受け、治療の直後一週間程は右手が回転するような感覚は若干弱まるものの、書字にはほど遠く、投薬治療を継続している状態にある。

三  ジストニアの医学的知見(甲2、3、6ないし12、乙7、10、12、13、17ないし25、32ないし70、74ないし78、証人柳澤信夫〔当審〕)

1  定義と用語

ジストニアは、一九一一年、Oppen-heimにより、疾患単位として提唱された概念で、同一筋に筋緊張亢進と低下が状況によって出現することを指す病態として用いられた。その後、歴史的経過をたどり、世界神経学連合(昭和五六年)では、ジストニアとは、緩徐で持続性の筋収縮により四肢、躯幹、頸、顔面、口などをゆがめ、特徴的な姿勢を生ずる異常姿勢であり、それは、遠位に現れることも、近位に現れることもあり、全身性、一側性あるいは局所性のことがあると定義されている。

ジストニアに関する用語としては、①「ジストニア姿勢」(中枢神経系、特に、基底核障害による持続性筋収縮によって生ずる異常な姿勢・肢位をいい、ジストニアが示す病態の中核をなす。)、②「ジストニア運動」(アテトーゼよりも緩徐な、捻転を伴う不随意運動をいう。)、③「動作性ジストニア」(随意運動に際してジストニアが生ずる状態をいい、目的運動とは関係なく安静時に自然に生ずるジストニア運動とは区別して取り扱われる。特発性捻転ジストニア〔以下、便宜「特発性ジストニア」という。〕では、安静状態では筋緊張や姿勢に異常はないが、目的運動に際して筋緊張亢進を生じ、奇妙な姿勢をとり円滑な動きが妨げられるという症状がみられる。)などがある。

2  病態と症侯

(一) ジストニアは、障害される運動機構が、一次・二次運動ニューロンのような固定した明確なものとは異なり、姿勢や目的運動といったダイナミックな課程が含まれることによるところから、病変に基づいて病態・症侯を整理しにくい概念であるとされている。中枢性の運動障害の中でも、基底核の病変による安静状態の不随意運動や筋緊張異常とは異なり、運動の遂行という高次の神経課程が関わることから、職業性・心因性の病態との鑑別が問題となるとの指摘がある。

(二) ジストニアを生ずる症侯を原因別にみると、大別して、原発性(一次性)と続発性(二次性)とに分類される。一次性ジストニアは、特発性ジストニアとも呼ばれ、脳に器質的障害が認められないところから、脳に何らかの機能的障害が存するものと理解されている。遺伝性のものと孤発性のものとを含むが、発症に至る原因は不明である。二次性ジストニアは、症侯性ジストニアとも呼ばれ、狭義では、発症に至る原因として脳の器質的障害に続発するものと薬剤性のものとがある。広義では、脳に器質的な変化を認めないが、発症に至る何らかの原因が判明しているものとして、職業性(心因性)ジストニアも含めて考えられる。これらの症侯を整理するとおおよそ以下のとおりとなる。

(1) 特発性ジストニア

何らの原因・誘因なくして、ジストニアに至る症例をいう。増悪因子も存在しない。特発性ジストニアの診断については、これまで特異的な検査異常は認められておらず、脳の生化学的分析、大脳誘発電位(SEP)や筋電図なども検査方法として確立したものとはいえないところから、基本的には症侯性ジストニアの除外診断によるほかないとされている。

特発性ジストニアは、安静臥位では正常の姿勢で、筋緊張は正常ないし低下しているが、起立・歩行により捻転を伴う固有の異常姿勢を生ずる。筋緊張亢進は、固縮ではなく、姿勢反射異常による中枢性不随意収縮による。目的運動に際しては、動作性ジストニアを生ずるが、ジストニア姿勢、動作性ジストニアのいずれにおいても振戦(ふるえ)・ゆれなどを生ずる。書字に関していえば、前腕伸筋に持続性不随意収縮を生じ、筆圧が加わらないために書痙を生ずることがある。

特発性ジストニアにおいては、困難ながらも目的動作を行うことができたり、自動車の運転や書字などの目的動作を予想外にうまく行うことができることがある。また、自然的経過の中で症状が自然軽快することがある(脳の器質的障害ではなく、機能的障害であると説明される所以である。)。

(2) 症侯性ジストニア

脳性麻痺、脳炎後遺症、薬物中毒など、脳の器質的障害を原因としてジストニアに至る症例をいう。ジストニア姿勢やジストニア運動を主症状あるいは部分症状とするもので、特発性ジストニア以外の疾患をいう。症侯性ジストニアは、基本的には筋固縮やそれに続発する関節拘縮などによるジストニア姿勢が主症状であり、振戦(ふるえ)・ゆれなどを生ずることは殆どなく、特発性ジストニアとはその病態も異なる。

(3) 職業性(心因性)ジストニア

職業上、反復・継続される特殊な動作(ないしストレス)を原因として動作性ジストニアに至る症例をいい、職業性筋痙攣とも呼ばれる。その病態が現れる職種は、ピアニスト・ヴァイオリニストなどの音楽家、ゴルファーなどのスポーツ選手、タイピスト・鍛治屋・石切工など多岐にわたるが、動作性ジストニアが上肢のみに局所的に現れる書痙については、手先を用いる職業において顕著である。

書痙は、歴史的には心因性のもの(ノイローゼ)として捉えられてきたが、近時は、書痙とされていたものの中にもジストニアが含まれると理解されている。一般に当該作業から離れれば、職業的ジストニアは改善・消失し、他の身体部位にはジストニアを生じないことによって診断される。もっとも、実際の診断では、特発性ジストニアの部分症状との鑑別が困難なことがある。

3  発症機序

随意運動の神経機構は、運動を行う意志に関わる大脳前頭葉、どのような運動を行うかの計画(plan)に関わる基底核、必要な筋群を空間的・時間的に活動させる運動のプログラムの形成(programming)に関わる基底核―大脳皮質前運動野系、小脳系、補足運動野の系、延髄・脊髄の運動細胞を興奮させる大脳皮質運動野、一次・二次運動ニューロン及び筋からなる。このうち、ジストニアは、大脳の基底核及び大脳皮質の機能異常によるものとされ、運動の神経機序の上からは、運動のplanは保たれているが、運動のprogrammingに何らかの障害があるために発症するといわれている。しかし、現段階では、ジストニアの生化学的機序は、医学的知見として、それ以上には解明されていない。

4  治療

ジストニアは、基本的に、一度発症すると、治療によって一時的に症状が改善されることはあっても、完全に治癒することはない。ジストニアに対する治療方法としては、抗痙縮薬、筋弛緩剤などの投薬・注射等を用いた対症療法を一生続ける以外にはない。現在、効果的な治療法として、ボツリヌス菌の毒素を精製した上、その毒素を弱めた薬品(ボツリヌストキシン)を半年ないし一年に一回筋肉注射し、筋緊張を一時的に緩和させるボツリヌス療法がある。ボツリヌス療法によれば、ジストニアの症状がかなり軽快するが、これを中断すると症状がまた復活する可能性がある。もっとも、同療法は未だ我国では認可されておらず、実験的な治療法として試みられている段階である。

四  業務起因性

1  因果関係

労基法七五条所定の災害補償の要件としては、労働者に生じた傷病等が「業務上」のものであることを要し、かつ、それで足りるが、傷病等が業務上のものであるというためには、業務と傷病等との間に相当因果関係が認められることを要すると解すべきである(「公務上の災害」の意義に関して、最高裁判所昭和五一年一一月一二日第二小法定判決・裁判集民事一一九号一八九頁参照)。

ところで、相当因果関係を肯認するためには、条件関係の存在が前提となるが、条件関係が存するというためには、業務がなければ傷病等が生じなかったという関係があること、すなわち、傷病等の発生の原因となった他の諸条件を前提として、それに業務が加わったことが結果発生に有意に寄与したといえることが必要となる。そして、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」(最高裁判所昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)が、条件関係は、法的評価を加える前の、いわば自然的・事実的因果関係ということができるから、医学的に一般に受け入れられる知見(経験則)に照らし、業務が傷病等を惹き起こす原因となることを是認しうる高度の蓋然性があるとの証明に至らない場合には、条件関係それ自体が存しないことに帰するというべきである。

そこで、以下、本件において、被控訴人の従事した業務が、被控訴人のジストニアの症侯に有意に寄与したという条件関係が認められるかどうかについて検討する。

2  被控訴人の症侯と鑑別

(一) 前記二で認定のとおり、被控訴人は、当初、右手による書字の動作だけが障害される形でジストニアを発症し、その後、次第に右上肢によるその他の動作全般にも障害が拡大するに至っている。その症状が増悪した過程をみると、一貫して、右手による書字の動作の異常が顕著である上、ペンを持つことができても、ペン先を紙面に接触させようとすると、右手が右側に捻転し、書字が障害されたり、コップを持つと右手が捻転してこれを落とすなど、右上肢の異常な運動が、常に右側に捻転する形態で出現するという特徴がある。

以上によれば、被控訴人の病態は、右上肢の随意運動(特に書字)中に、特定の筋に強い不随意収縮が生ずるために目的運動が妨げられるものであるから、右上肢における局所性の動作ジストニア(書痙)と認めることができる。

(二) そこで、次に、被控訴人の症侯(書痙)が、何らの原因・誘因なくして、動作性ジストニアに至る特発性ジストニア(の部分症状)と、職業上、反復・継続される特殊な動作(ないしストレス)を原因として動作性ジストニアに至る職業性ジストニアとのいずれに鑑別されるのかについて検討を加える。

(1) 柳澤医師は、両者の鑑別点について、次のとおり説明する。まず、職業性ジストニアを支持する所見としては、① 手指の巧緻運動や迅速運動を必要とする職業に就いてから、一定期間の後、その運動に際して手指の筋の痙攣性収縮を生じ、作業が困難となること、② 同様に手指を用いる運動でも、他の動作は円滑にできること、したがって、その職業を離れれば、生活動作に支障は残らないこと、③ 薬物や精神療法は一般に無効であることなどが掲げられる。これに対し、特発性ジストニアを支持する所見としては、① 特殊の動作だけでなく、特定の筋を用いる動作のすべてに障害がみられること、例えば、書痙が目立つときには食事動作や手細工なども同様の異常筋活動によって妨げられること、②手指以外の部位にもジストニアを認めること、③ 振戦(ふるえ)を伴うことがあること、④ 抗コリン薬が一定の効果を示すことなどが掲げられる。

以上の鑑別点を踏まえ、被控訴人には、書字だけではなく、右上肢の他の随意運動全般に関しても動作性ジストニアの病態がみられること、被控訴人は、タイヤの取扱作業を離れても、なおジストニアの症状が持続していること、被控訴人のジストニアが増悪した経過において、他の身体部位の障害やジストニアの病態とはみられないような運動障害は出現しておらず、被控訴人に脳の変性疾患等の存在を窺うことができないことをも総合すると、被控訴人のジストニアは、職業性ジストニアではなく、特発性ジストニアの部分症状であると鑑別する。

なお、特定の作業の過度の反復・継続が、一時的に、特発性ジストニアを増悪・進行させるようにみえることがあるが、これも、病態自体を増悪させるのではなく、筋肉疲労のためにジストニアの症状を一時的に悪く見せているにすぎず、動作の反復を止めると元の症侯のレベルにまで回復する性質のものである。また、本件では、そもそも、被控訴人が、トーヨータイヤ京滋販売において従事した作業では、その質・量において、特発性ジストニアを発症・増悪させる程度のものとはいえないと説明する。

(2) これに対し、梶医師は、被控訴人の症侯をもって、局所性ジストニアとしての右上肢ジストニア(書痙)であるとした上で、本件は、過重な作業ないしストレス(増悪因子)により、単純型書痙(書字動作以外には症状がないもの)からジストニア型書痙(書字以外にも症状があるもの)へ病態の進展が認められたケースであると説明する。

一般に、発症初期の局所性ジストニアでは、特定の動作のみが障害され(動作特異性)、常に同じ形態の異常な動作が再現される(常同性)という特徴がある。また、病歴上、ジストニアの発症前に、外傷、過激な運動や過重な負荷、不眠、職業上の反復動作、心的ストレスが存在することが多く見られる。このような医学的経験やジストニアにおける電気生理学的知見に鑑みると、ジストニアは、運動サブルーチン(各種の運動を制御する大脳基底核において、書字や打鍵など特定の運動に際し、頻用される運動プログラム中、その効率的遂行のために必要な主働筋と拮抗筋の収縮とそのタイミングを司るサブプログラムをいう。)それ自体を頻用することに加えて、外乱要因(向精神薬の服用、外傷、過重な負荷、心的ストレス)や内的要因(遺伝歴等)が作用した結果、運動サブルーチンが異常な神経回路を有するに至る疾患であると考えられる。したがって、ジストニアは、大脳の一部に器質的変化を起こす病変であって、心因性の疾患ではなく、罹患筋の過度の使用、向精神薬の長期服用、外傷、精神的ストレス及び遺伝的要因等がその発症を誘発し又は増悪させる因子であると思われる。

そして、被控訴人は、大型タイヤを頻繁に取り扱う部署に配置換えとなった後、それまで軽度であった書痙の症状が明白かつ急速に悪化している。したがって、被控訴人の場合、重い大型タイヤを持ち上げるなどの作業に携わる傍ら、強い筆圧で伝票を作成するという作業内容や職場における人間関係上の精神的ストレスなどが、被控訴人のジストニアを少なくとも増悪させた因子となっていると考えられる。

(三) 各所見の評価

(1) 柳澤医師の所見の評価

柳澤医師は、昭和四〇年四月、東京大学医学部大学院に進学後、米国留学を経て、三〇年以上にわたって、一貫してジストニアの研究・教育に携わり、その論文・著作は、脳の運動感覚系に関するものだけでも四〇〇本(ジストニアとこれに関連する論文は八〇本)を超える、我国におけるジストニア研究の第一人者の一人とされている。厚生省の特定疾患「神経変性疾患」調査研究班にも昭和四八年から所属し、平成五年四月から平成八年三月までの間は、同研究班の班長を務めたほか、海外おけるジストニアの研究でもその著作が引用されるなど、世界的にも高い評価を得ている(垣田清人医師、大谷碧医師が、ジストニアが中枢神経系の病変であるとした上で、吉川検医師、上村宏医師と同様、ジストニアは発症原因が明らかでなく、進行性の疾患であって肉体的労働が増悪因子であるとは考えにくいとするところも〔乙7、12、13〕、柳澤医師のジストニアに関する病態・症侯・機序・原因などの基本的理解と概ね符合する。)。

そして、柳澤医師の特発性ジストニアと職業性ジストニアとの鑑別点についての所見は、自らの臨床経験に基づく研究成果である(例えば、平成二年一二月第二五回脳のシンポジウムにおける発表論文「ジストニーの病態生理と診断上の問題点」〔乙20〕、平成八年度災害科学に関する委託研究報告書〔ジストニアの診断法〕〔乙65〕ほか多数。)とともに、ジストニア研究に関する国内外の多数の文献をも踏まえた上での(平成五年度災害科学に関する委託研究報告書「ジストニアとストレスとの関連に関する文献的研究」〔乙57〕)、現段階におけるジストニアにかかる医学的知見の集大成であると評価することができる。

(2) 梶医師の所見の評価

梶医師は、昭和五四年四月、京都大学医学部大学院に進学後、米国留学を経て、ジストニアのボツリヌス療法を我国に先駆的に導入した数少ない研究者であり、平成六年から三年間、厚生省の厚生科学特別研究事業としての「ジストニアの実態調査と病態解明に関する研究」班にも所属していた。

もっとも、ジストニア性書痙の発生機序に関するいわゆる「運動サブルーチン説」は、未だ仮説の提唱の域を出ないものであり(乙63)、医学的な知見として必ずしも一般的なものということはできない(ちなみに、「運動サブルーチン」という言葉自体、神経生理学においても、神経内科学を含めた臨床医学においても一般的な用語にまではなっていないことが窺われる。)。この点に関し、英国における研究論文(ブレイン「局所性ジストニアとしての書痙」〔甲6〕)も、従来、職業的な負荷やストレスによって現れるとされていた書痙の中にジストニアの一部が含まれ、これが他の身体的部位を含むジストニアに進展する例があることを指摘した点では、歴史的に意義があるというべきであるが、これをもって、いわゆる「運動サブルーチン説」を前提として、肉体的負荷ないし精神的ストレスがジストニア(病態)の増悪因子となるとの見解を支持するとまでいうには無理があるとされている(乙25、証人柳澤信夫〔当審〕)。

また、梶医師において、ジストニアを心因性疾患との対比において、大脳の一部に器質的な変化を起こす病変であると位置づける所見は、一般に、症侯性ジストニア(狭義)が、発症に至る原因として脳の器質的障害に続発すると理解されるのに対し、特発性ジストニアが、脳には器質的障害が認められないために、発症に至る原因として脳に何らかの機能的障害が存するものと説明されていることとも必ずしも符合しない。

加えて、これは、梶医師の医師としての真摯な思いに基づくであろう活動や意見表明に疑問を呈するものでも批判するものでも全くないが、同医師は、自宅を事務局として患者団体「日本ジストニア協会」を組織するなど、患者の啓蒙・支援活動にも力を入れている(甲11、乙24)。本件でも、被控訴人に対し、労災補償保険給付を申請するように指示したり(甲5)、京都労働基準局による実地調査面接では、ジストニアについて、「過労死が認められるならば当然労災として取り扱われるべき疾病と考える」と表明するなど(乙12)、ジストニアに関する言動の中には、純粋な医学的知見としての側面のほかに、労災補償保険の適用により、患者の救済を働きかけようとする意図が窺われないではない(「新職業病?“ジストニア”とは」〔甲10〕)。

(3) 以上を総合勘案するならば、ジストニアに関する病態・症侯・発症機序・原因等についての現段階における医学界一般の知見(経験則)としては、柳澤医師の所見が一般に受け入れられていると見るのが相当である。梶医師の所見は、少なくとも現段階においては、書痙と特発性ジストニアとの関係や、ジストニア性書痙の発生機序に関するいわゆる「運動サブルーチン説」が、ジストニアに関する医学的知見として、必ずしも一般的に支持を得るまでに至っているとは評価し難いといわざるを得ない。

3  判断

そこで、以下、柳澤医師の所見に準拠して、被控訴人が従事した業務と被控訴人が罹患したジストニアの症侯との関係について、検討を加えると、次のとおり判断することができる。

(一) まず、被控訴人がトーヨータイヤ京滋販売において、従事していた作業の内容が、そもそもジストニアの誘因ないし増悪の因子となりうるかについて検討する。

職業性ジストニア(書痙)を発症させる動作としては、巧緻運動や迅速運動を反復・継続する職種が掲げられ、作業量的にみた場合にも、例えば、一分間に数百回もの筋活動を行うという非生理的な負担を生じるものであったり、精密な仕上りを求められる仕事を精神的緊張をもってほぼ一日中行うケースであるとの指摘がある(乙25、57ほか)。

ところが、被控訴人が、トーヨータイヤ京滋販売において従事していた業務の内容をみると、最も右上肢に負荷が懸かると思われるタイヤの取扱作業は、粗大筋肉を使用する動作であって、およそ巧緻運動や迅速運動を反復・継続する場合とはその態様を異にするし、精密な仕上りを求められる動作ともいえないことは明らかである。タイヤの取扱作業の中には、大型タイヤの搬入・入替えなどにみられるように、両腕や腰部にかなりの負担を強いる作業も含まれている。しかし、被控訴人は、営業員であったから、その主たる業務は得意先回りであって、タイヤの取扱作業の割合は、通期でセールス六に対しタイヤの入替えが一(一日一〇本から二五本)、繁忙期(冬期)でもセールスとタイヤ入替えが各三(一日三〇本から五〇本)程度のものであった。加えて、各営業所には、タイヤ交換(配送)の専従作業員が別途配置されていたから、被控訴人は、常時タイヤを取り扱っていたわけではなく、営業所に戻ったときに、必要に応じて、便宜、補助的にタイヤ取扱作業に携わっていたに止まる(ちなみに、トーヨータイヤ京滋販売においては、専従作業員においても、ジストニア〔書痙〕を発症した例はない。)。これによれば、営業担当の被控訴人において、タイヤの取扱作業についての過重な負担が反復・継続的に右上肢に懸かっていたとは認め難い(平成三年の冬期にはスパイクタイヤの規制に伴い大型タイヤの取扱量が著しく増え、被控訴人において営業所へ戻ってからタイヤの入替えのために残業する機会が増加したことは認められるけれども、被控訴人の勤務が営業であったことに変わりはないから、右認定を左右するものではないというべきである。)。

次に、被控訴人が、トーヨータイヤ京滋販売において作成していた伝票類をみても、その多くはコンピューターに入力用の一枚ものの受注書であり、また、得意先によっては使用する複写式の伝票の作成も一日四、五枚程度のものであった(被控訴人が複写式のカーボン紙に強い筆圧で記入する仕事を長時間にわたって反復・継続していたと認めるに足りる証拠はない。)。これらの作業は、営業員の日常の業務に通常付随する程度のものであるし、書字の質・量ともに一般の事務担当者と比較しても、特別の負荷とみることはできないというべきである。

なお、被控訴人は、職場の人間関係に起因する葛藤などをもって、心因性ジストニア(書痙)の誘因・増悪の因子となりうると主張する。しかし、心因性の書痙におけるストレスとは、書字に関係するストレス(例えば、文章を短期間に大量に書かなければならないと思うことによる心理的ストレスや、文書を一生懸命に長く書き続けるといった身体的ストレス)を意味し、書字とは関係のないストレスは含まれないから、採用の限りでない。

以上のとおり、トーヨータイヤ京滋販売における、被控訴人の作業内容は、そのいずれをみても、質・量ともに、職業性ジストニアの発症の誘因となり、あるいはこれを増悪させるものとは認め難いというべきである。

(二) 次に、被控訴人に現れたジストニアの症侯が、職業性ジストニアとしての特徴を具えているかどうかについて検討する。

職業性ジストニアは、当該職業で行う作業に限って、その症状が現れるものであり、同じ手指を用いる動作であっても、当該職業で行う作業とは異なる動作については、支障なく円滑に行うことができるとされている。

しかし、被控訴人におけるジストニア発症の部位は、右上肢にもっとも負荷が懸かるタイヤ取扱作業における特定の動作や姿勢がそのまま持続的にジストニアの症侯において現れたのではなく、右の作業とは異なる書字に関するもの(書痙)であった。しかも、被控訴人は、昭和六一年四月、トーヨータイヤ京滋販売京都営業所に営業員として配属され、セールスやタイヤ取扱作業等に従事して後、昭和六三年三月ころには書字だけにみられた異常が、平成三年秋ころからは、ねじを締める動作にも困難を覚えるようになり、平成四年一月ころには、食事の際、箸やスプーンも上手く使えなくなり、コップや茶碗を持つと手が勝手に動くようになったほか、プッシュホンや電卓のボタンも押し辛くなっている。このように、被控訴人においては、作業上、最も右上肢に負荷が懸かる動作(タイヤの取扱作業)とは異なり、前記のとおり、特別の負荷を認め難い書字の動作において障害が現れたのみならず、さらに進んで、作業とは全く無関係の日常生活の動作全般にわたっても支障を来すに至っている。

また、職業性ジストニアの症侯は、原因となる作業を離れると改善・消失するものとされているのに、被控訴人は、平成四年四月、梶医師から、右上肢ジストニアのために二か月間の自宅療養及び通院加療するように診断され、会社を休職した後もジストニアの症状は残存していた(ボツリヌス菌による対症療法により若干の改善をみたに止まる。)。さらに、平成四年八月に同社を退職した後も症侯は一向に改善・消失せず、現在も、右手による書字は全く不可能であるほか、右手では、消しゴムを使ったり、印鑑を押す動作も不自由である。

以上のとおり、被控訴人には、当該職業において最も負担の大きい動作(タイヤの取扱作業)とは異なる書字に障害が現れただけではなく、右上肢の他の随意運動全般に関しても動作性ジストニアの病態がみられること、被控訴人は、タイヤの取扱作業から離れても、なお、ジストニアの症侯が持続していること等に照らすならば、被控訴人の罹患したジストニアの症侯をもって、職業性ジストニアと見ることはできないというべきである。

(三) この点に関し、被控訴人は、平成三年秋ころ、被控訴人において日常生活の動作全般にわたって支障を来すに至ったのは、そのころ、系列のガソリンスタンドを対象にタイヤの販売促進キャンペーン活動に従事したり、スパイクタイヤの規制に伴って、繁忙期(冬期)における大型タイヤの取扱量が著しく増加し、被控訴人の負担が過重となったことにより、単純型書痙(書字動作以外には症状がないもの)が、ジストニア型書痙(書字以外にも症状があるもの)へ進展したからであると主張する。

確かに、前掲の英国における研究論文(ブレイン「局所性ジストニアとしての書痙」〔甲6〕)には、従来、職業的な負荷やストレスによって現れるとされていた書痙が、他の身体的部位を含むジストニアに進展する例があるとの指摘がある。しかし、これに対しては、全身性の特発性ジストニアの部分的症状が筋収縮の過重な負担のかかる部分にまず現れたという説明も十分可能であるし、この場合には、書痙から全身性ジストニアまでの病態をすべて職業的な負荷や心因性に起因するものと考えるよりも、本来の特発性ジストニアが、まず書痙から発症したと理解すべきであるとの指摘もできる(乙57)。したがって、被控訴人の主張はにわかに採用できない。

(四) まとめ

以上検討したところによれば、被控訴人が罹患したジストニアは、被控訴人がトーヨータイヤ京滋販売において従事した作業内容からも、その発現した病態の特徴からも職業性ジストニアとは認め難いし、その他、被控訴人のジストニアが増悪した経過において、右上肢以外の身体的部位の障害やジストニアの病態とはみられないような運動障害が出現しておらず、被控訴人には脳の変性疾患等の存在を窺うこともできないことをも総合すると、被控訴人のジストニアは、特発性ジストニアの部分症状が右上肢に発現したものというほかない。そして、特発性ジストニアの発症原因については未だに不明であるし、その増悪因子も判明していないことは、医学的に一般に受け入れられている知見(経験則)である。そうすると、被控訴人がトーヨータイヤ京滋販売において従事したタイヤの搬入や入替え、伝票類の書字その他の作業が、医学的な経験則に照らし、ジストニア発症の誘因となり、あるいは、これを増悪させたことを是認しうる高度の蓋然性があるとの証明に至らなかったというべきであるから、本件業務と本件症状との間には、条件関係も認めることができないことに帰する。

第四  結論

以上によれば、被控訴人の本件疾病は業務上の傷病には当たらないというべきであるから、控訴人が被控訴人に対し平成五年六月二五日付けでした、労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付を支給しない旨の処分に違法はない。

よって、被控訴人の請求は、理由がないから棄却すべきであり、これと異なる原判決は不当であるから、取り消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法六七条二項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 根本眞 裁判官 鎌田義勝 裁判官 松田亨)

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